居心地の悪さに固執する必要性

何も道標が立て切れない前に物事は結論を生み出している、世の中は不条理で溢れかえっています。その不条理の中で佇むことほど不条理で空しく歯痒いことはありません。どう見たって自分から動くことが必然で必要なのだろうけど、その必要性に対して懐疑的なもの持ち合わせたり、結果を見越して放棄しているうちはどうしょうもないんでしょうね。ま、最近いろんなモノのバランス見失ってしまっているので、何とも言えないんですけどね。結局のところ、どうなんでしょう? 腫れ物ですか? 彷徨うさくらに必用なものは、道標なのかもしれません